お寺の歴史について
野村山善證寺は京都・東本願寺を本山とする浄土真宗、真宗大谷派の寺院です。
成り立ちは当寺の伝記に「当寺開基の善證法師は、清和源氏の貞信親王の末裔にして伊予の国に住し姓を野村と称した。其父は建武兵乱の砌に後醍醐帝の御味方を申し、度々軍功を顕すも遂に戦場の露と消ゆ。嫡子定善、弟徳五郎の両人亡父の菩提を弔う為仏門に帰し、諸国の霊仏に参詣専ら念仏怠りなし。文明年中(1469〜1487)越前霊地を参廻の折、蓮如上人吉崎へ御下向の際なれば、御弟子に相成度旨を申し上げれば、直ちに定善の善の一字と信證院の證の一字を併せ給い、法名を善證と御授けあらせられる。(中略)其後、砺波の郷高瀬の里に真言宗源立寺という無住の一寺あり。人々の勧めによりこの寺にしばらく滞留せしが、後文明八年(1476)の頃この高堀の里に来り道場を建立し、其後延宝年間(1673〜1681)の御本山より寺号を善證寺と賜り今日に至る。」とあります。
500年以上にわたる地域の皆様の聞法道場です。